多田 雄幸(ただ ゆうこう)

1930(昭和 5)..〜

 

 新潟県長岡市生まれのヨットマン。普段は東京で個人タクシー(白タク)の運転手をしていた。

 ヨットの繋留場所が隣同士だったことから西堀栄三郎の知遇を得、その縁で北極点グリーンランド

単独行の際にベースキャンプから1年近くの間、植村をサポートする役目を買って出た。

植村に触発されたこともあって、手作りのヨット「オケラ五世号」を駆って、史上初の世界一周単独

ヨットレースに出場。見事優勝を果たす。その後もヨットのレースを続けていたが、レース中、嵐に

よりヨットが大破し漂流を体験。何とか救助されたものの、そのショックから立ち直ることが出来ず

自ら命を絶つ。

 

本人曰く「夢中になって遊んでいるうちに、結婚するのを忘れてた。」といい、50歳を過ぎて未婚。

ヨットと禅と音楽(キーボードとサックス、ただし我流)を愛する飄々とした自由人といった人であり、

このいつも明るさを失わない人物が自ら死を選ばなければならなかったほどの絶望と、それを導いた体

験を思うと、空恐ろしい。

 

参考文献

(1)オケラ五世優勝す 多田雄幸 文春文庫

完走目的で参加したものの、南極海でのコース取りの良さと、故障が起きても諦めずに

まめに修理しながら航海したことで見事優勝を果たした世界一周単独ヨットレースの記録。

自分たちでヨットを作っただけあって、揺れるヨットの中でまめに修理をする姿勢は、

植村や大島と共通するところが感じられる。φ12のドリルをハンドドリルで、しかも揺

れるヨットの中で立てるのはそーとー大変なことである。

 他の参加者やレースの主催者との交流だけでなく、昔からのヨット仲間や、北極で知り合った人々(植村、

日大チーム、スミソニアンのハウチンズ氏等)が寄港する先々で待ち受けて応援したり、修理を手伝った

りしており興味深い。本人の苦労話があまり無く、単独行を支える友情や支援に対する感謝が多いのも

 良い読後感を与えていると思う。

 フォークランド等付近で、戦争の勃発により南極の夢を断たれた植村と無線で交信するシーンでも、自ら

の旅のことは置いて失意の植村を気遣う様子に人柄の良さがうかがえる。

 

植村直己

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送