戦隊幹部のネグロス島からの転進                      <谷底ライオン>

 

杉山大尉以下、第一次、第二次便の者がシライで待機している裡にも戦況は刻々と悪化し、すでに対岸の

パナイ島は敵手に帰した模様で、二十六日ごろから敵の砲艦射撃がバゴロド、シライ地区に向けられる様に

なり、シライ地区からの脱出はきわめて悲観的になってきた。更に二十九日の未明、バゴロド南方に敵の

上陸を見るに至って、シライ飛行場の爆破計画が進められると共に、所在の航空関係者にも山中陣地への

移動命令が発せられ、ついに脱出は絶望的段階に立ち至った。

 

その最中、三月三十日の夕刻、杉山大尉が単身、たまたま飛来した四十五戦隊の輸送機に便乗してシライ

飛行場からボルネオ島に向かうという予想外の出来事が発生した。

タリサイの宿舎を出発する際、杉山大尉は、居並ぶ高橋隆一准尉や整備係下士官から敬礼を受け、無言の

儘挙手の答礼で以て応じたが、輸送計画の変更や、今後の行動についての指示は一切しなかったという。

杉山大尉の脱出をあとで知った者達からは、きわめて不可解な行為として受けとめられたようである。

 

戦後のある時期、この間の事情を訊ねた筆者に杉山大尉はこう答えた。

 

「俺は前から立川の航空整備師団司令部付になる内命を受けていた。それに、第二航空指令団司令部

からも、度々早期に脱出せよと言われていた。たまたま、二十九日に敵が上陸して来た日に、師団の

鈴木(清)参謀から呼び出され、すでに貴官は戦隊の整備隊長を解任されている。飽くまでも脱出しない

のならば、抗命罪として射殺する。また、貴官の脱出は、あとに残る者にとっては衝撃が大きい筈だ

から、(脱出の事は)一切喋らないで行動せよときびしく言われたからああ言うことになったんだ。誤

解されたのは仕方がないと思うよ。」と。又、同時に、「まァ俺自身も、もう限界を感じていた事も事

実だ。」と付け加えた。

 

ありえる話であり、正直というか生真面目な杉山大尉の言動はその儘信用できるが、それにしても、

状況を知らされない残留人員にとっては、忘れられない記憶であった。

 

 

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