結城無二三足跡

 

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結城無二三の墓

最愛の息子、禮一郎が無二三の故郷に建てた墓。

今も昔と変わらぬ姿で故郷の丘の上に佇んでいました。

 

 

無二三の故郷は山梨

ちょっと山梨に行くことは無いだろうなぁと思っていたのですが、山梨県石和温泉郷の

温泉宿泊券プレゼントに当選!

調べてみると、旅館から1時間分位で

無二三の故郷に行けそうな感じ。

これはいける!」と、

長野在住の友人を誘って、

山梨県に行って来ました〜。

平日にも拘らず、

無理やり有休とらせて。(苦笑

 

石和温泉郷の石和常磐ホテル様、

温泉、露天風呂、寿司食べ放題、

友人ともども堪能いたしました。

「ありがとうございました。」

 

さて、まずは困ったときのGoogle map

禮一郎の次男、結城雄次郎氏が書いた

結城無二三伝の題名にもなっている

差出の磯」で検索。

日下部を見下ろす川縁の小高い丘。

多分、ここで合ってるはず。

 

温泉と食事、久々に会った友人とのおしゃべりを

堪能した翌日、カーナビに“差出磯大嶽山神社

を設定して、友人の運転する車で、いざ出発!

興味無いのに、ずっと運転させられる友人、

今、冷静に思い返すと可哀想だな・・。(苦笑

 

差出磯大嶽山神社の看板

車だと差出磯の反対側ですが、

こっちから来たほうがいいかと

逆方向の看板

逆方向から見てもちゃんと

看板が立ってます 

 

 

墓地の入り口

駐車場の横の小道が墓地の入り口です

星製薬表札

ひたすらまっすぐ進むと、

本で見たことのある大きな墓石が

 

中央に無二三の墓石、向かって右側に灯篭と

墓石が二つ、左側に墓石がひとつ建っています

   

墓石の裏面には禮一郎の手になる墓碑が刻まれています。

墓碑の文面

先考無二三當国八代郡田中の人なり其先葢し結城朝光より出ず年甫

めて十六江戸に出で砲術を学び徴されて旗士となり征長の軍に従ふ

次で新撰組に加はり京畿の間に在りて専ら国事に奔走す鳥羽伏見

役大砲差圖役として中書島に戦ひ更に甲陽鎮撫隊軍監に成て當国柏

尾に轉戦す後神の不思議の召命を蒙りて基督教に帰依し爾来風雨三

十年其教旨の宣傳に没頭して又他を顧みず明治四十三年五月病を以

て東京に没す享年六十九

半生の志業空しく蹉跌したり雖も敢て怨まず敢て咎めず諄諄道を

説いて只其天を楽しむ高風欣羨に値せずとせんや嗣人冥冥の間其利

を享くる實に僅少ならざるもの在り景仰不能禁焉

大正七年三月  男禮一郎述

 

花立兼水鉢

自然石から彫った花立兼水鉢には

“日下部教会々友”

と刻まれています。

  

結城たか、結城すゑ子之墓

無二三の墓石、右側にあります 

結城麟児之

無二三の墓石、右側奥にあります 

 

結城まつ之墓

無二三の墓石、左側にあります 

差出の磯

お墓から差出の磯が見えます

 

 

御墓からの景色

御墓は小高い丘の上に在るので、

甲斐の山々や差出の磯など

無二三の愛した故郷が見渡せます

 

 

日下部教会

ちょっと足を伸ばせば、無二三が設立に尽力した

日下部教会が住宅地の中に佇んでいるのを

見ることができます。

  

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