佐々井秀嶺(ささい しゅうれい)

1935(昭和10).8.30〜

 

日本名、佐々井実。インド名、アーリヤ・ナーガルジュナ(聖・龍樹の意味)。

昭和10年岡山県新見市別所村の奥深い山村の生まれ。父の不倫現場を目撃したことがきっかけ

で、自らの色情因縁に苦しみ、自殺の旅に出るが、止められ諭されて田舎に帰る。父母の別居も

あり坊主になろうとまたも出奔。延暦寺、身延山久遠寺、総持寺などに入門を頼みに行くが玄関

払いをうける。失意のあまり再度自殺を図るが、勝沼の真言宗智山派大善寺住職『井上秀祐』に

拾われ修業見習いとして置いて貰うこととなる。卓抜した行者である師の下で「大善寺の小天狗」

と呼ばれるようになった2年の修業を経て、1960年8月秀祐の兄弟子である高尾山薬王院貫首

『山本秀順』の手により得度し、仏僧『佐々井秀嶺』となる。

 

 日本放浪の旅、鹿児島の寺での修業、大学での仏教研究、浪曲師、易者の修業等を経て、タイに

仏教留学。しかし、現地での女性問題が原因で2年で途中帰国。師に合わせる顔がないとタイで

知り合った伝手をたどり、インド仏教発祥の地ラージキルにある日本山妙法寺へと向かう。インド

在住30年を越える八木天摂上人の下で、多宝山と言う岩山に宝塔を建てる工事に従事し、工事の

人夫達から始めてインドにカーストという身分制度があることを聞かされる。

 

 妙法寺関係者との軋轢から宝塔完成直前で工事を離れ、インドの仏跡巡りの旅を終え、八木上人に

帰国の挨拶するため妙法寺に立ち寄った日のこと。本堂の本尊仏の前に二人仲良く布団を引いて横

になった深夜2時頃、急に金縛りにあった秀嶺の前に、白髪白髯巨躯に白衣をまとい右手に杖、左

手に巻物を持った老人が現れ、「我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮へ行け。汝の法城は我が

法城。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り。」と告げて消えた。驚愕して、

八木上人を起こし、内容を告げたところ最初は夢でも見たのだろうと相手にしていなかった八木上

人も真剣に考えてくれ「南天竜宮」とはインド大陸の真ん中にある「ナグ(龍)プール(宮)」の

ことではないかと教示し、そこには大勢の仏教徒が居るらしいことを話す。佐々井師は龍樹と名乗

る老人の指示に従い単身ナグプールへと旅立つ。

 

ナグプールに着き、八百屋の中「インド仏教センター」に案内され、そこにあった「アンベード

カル博士」の肖像画が龍樹と名乗った老人とそっくりなのに驚く。早速、太鼓を叩きナムミョウ

ホウレンゲキョウと唱えて裸足で歩き回ったが反応は鈍く、石を投げられたりしたが、懲りずに続

けるうちに仏教徒の顔見知りも増えた。12月6日のアンベードカル入滅日に合わせ8日間の「断食、

断水行」を敢行。さすがに死にかけたが、意志の強さで完遂したことで、人々の敬意と信頼を得た。

彼のためにお寺を建てようと言う気運が起こり、後に皆の寄付で断食を行った地に最初のお寺が建

てられた。ガンジーとアンベードカルの対立を知らなかったことから、仏教徒の間に反佐々井運動

が起こったこともあったが、インド下層民の生の生活に接し、ボンベイの仏教センターでアンベー

ドカルの思想を深く学んだこともあり、次第に周囲の反目は無くなり、アンベードカルの師からも

彼の後継者として期待されるようになる。

 

アンベードカルこそが地湧菩薩であると確信し、彼の主要な主張、教育の重要性、迫害とは断固闘う

姿勢を仏の教えと共にナグプールを中心としインド中に説いてまわった。1974年、インディラ・ガ

ンジーの選挙違反事件に端を発し、彼女の息子、サンジャイ・ガンジーの下でインドには反動の嵐が

吹き荒れた。インド社会党党首のジャヤプラカシュ・ナラヤン等反体制勢力の指導者を次々と拘束し、

1975年6月非常事態宣言が出されマスメディアの統制により、1977年2月の宣言の解除まで佐々井師

もすべての布教活動を禁止された。

 

その後、仏教改宗25周年記念祭等仏教の布教活動を続けると共に、BAMCEF(指定部族カースト及び全

インド後進少数コミュニティ被雇用者連合)、BSP(大衆人民党)のカンシ・ラム氏ら被支配カースト

の生活向上運動を影ながら支援した。しかし1985年頃から佐々井の勢力が大きくなりすぎるのを嫌っ

た日本及びインド仏教組織の陰謀により、国外退去の危機に立たされた。1987年7月、ついに不法滞

在で逮捕されたが、これを期にナグプールでは10万人の全市民抗議集会が起こり、一触即発の危険な

情勢となった。1ヶ月で60万人の署名が集まり、ついには国籍取得運動に盛り上がった民衆の声を無

視できなくなったラジブ・ガンジー首相は、翌年4月、佐々井師のインド国籍取得を正式に認め、自ら

「アーリヤ・ナーガルジュナ」の名を送った。

 

その後、釈尊成道(悟りを開いた)の地であるブッダガヤーの大菩提寺をヒンドゥー教団『ギリ・マハ

ント』から仏教徒の手に取り戻すための運動を展開。十次にわたる大菩提寺解放闘争の末、大菩提寺管

理委員会は実質的にインド仏教徒の手により運営されつつある。現在はナグプール一円の龍樹連峰及び

大乗仏教の創始者ナーガルジュナ(龍樹菩薩)の根本道場跡と目される、ナグプール近郊のマンセル仏

教遺跡の発掘を続けている。そして、いつか龍樹老人の言った「南天鉄塔(大日如来より伝えられた密

教の根本教義を秘蔵したと言われる塔、空海はその実在を明言している)」と相まみえる日を待ち望ん

でいる。

 

注目理由

20世紀の出来事とは思えない、日蓮や親鸞といった日本仏教の先覚者たちを連想させるような

反骨心に富んだエネルギッシュな人物。夢のお告げに導かれて、見たことも聞いたこともない

インド大陸のど真ん中の町にたどり着きそこで絶望と混乱の中にあったインド仏教徒と出会い、

そのままインドに住み着いて、不可触民と呼ばれる下層民衆の指導者となった人物。数千年に

及ぶ差別と無知と貧困に喘ぐ人々と共に生活し、命がけで解放運動の先頭に立って奔走する姿

は不思議と感動に富んでいるが、陽性で常に明るさがつきまとうのは、本人の人柄とインドと

いう国の国民性に因るものでしょうね。今や潜在的には1億近いと言われる仏教徒の指導者で

あり、政治的影響力も大きい。

 

真言宗の僧なのにいつも団扇太鼓をたたき「南無妙法蓮華教」を唱えているのも、仏教教理学を

深く学んだ上で(師はパーリー語もわかるので、仏教教典を原語で読むことが出きる)、法華経

の教えと日蓮が好きだからと言うのが理由らしく、宗派にこだわらないキャラクターが良く出て

いて可笑しい。人望が非常に大きいため、彼の死後インドの仏教組織が大混乱になるような気が

してちょっと心配だったりもしますが、単純故にシンプルで強い、大変面白い人物ですね。(^^)

 

参考文献

(1)破天−1億の魂を掴んだ男 山際素男 南風社

佐々井秀嶺師の誕生から、1998年の大菩提寺解放運動までの活動を同志である

ジャーナリスト山際素男が佐々井師の告白と自らの目で見た運動を通して描く。

もっとも入手しやすく、内容的にも面白い本。仏門に入るまでの大恋愛、事業

の失敗、自殺未遂の経緯や、インドに来ることになった訳など、これまで佐々

井師が個人のこととして秘密にしていた内容まで赤裸々に語られている。

また、後半は佐々井氏らが現在繰り広げている、仏教発祥の聖地をヒンズー教団の手から仏

教徒の元へ取り戻そうという運動「大菩提寺闘争」の記録。これ読むと思うけど、この人は

女性にもてるだろうなぁ。(^^)

 

(2)不可触民の道 山際素男 三一新書

杉山龍丸氏の所でも取り上げた「不可触民」の啓蒙本だが、山際氏と佐々井秀嶺師の

最初の出会いが語られている。インドで布教を始めて10年目くらいの、若々しく

エネルギッシュな佐々井師の姿を見ることが出来る。彼を支え、彼を頼りにする人々

のかつての悲惨な生活と、自由と平等の権利を求めて立ち上がった現在の姿の両方を

知ることが出来るので、『破天』より先に読んでおくことをお薦めします。

 

(3)アンベードカルの生涯 ダナンジャイ・キール 山際素男 三一新書

龍樹老人の姿で佐々井師の夢に現れ、師を自らが指導したナグプールの仏教徒達の

元へと導いたインド不可触民の父。自らも不可触民の家に生まれ、最低の生活の中

で勉学に励み、不可触民が高校に進むのも初めてという中で、米国コロンビア大学

に留学、卒業。帰国後の差別に苦しむ生活の中で何とかロンドンに渡り、弁護士の

資格を得ると共に経済の博士を取得。優秀な法律学者、経済学者、社会活動家、

政治家として不可触民の地位向上とインド社会の改革に務め、インド憲法の草案者となった人物。

カーストの支配する社会を真の平等社会へ導くものとして仏教に到達し、ナグプールで50万人の

人々を仏教に改宗させた直後に亡くなった。佐々井師は彼の弟子として一文を寄せており、通常

「アンベードカル博士」と呼ぶところを「アンベードカル菩薩」と呼んでいる。

菩薩とは仏になり自己の安息を得る能力を持ちながら、自らの意志で現世にとどまり、衆従を救

うために教えを説く者のことである。

 

(5)大放浪−小野田少尉発見の旅 鈴木紀夫 文芸春秋

著者がルパング島に潜んでゲリラ活動を続けていた小野田少尉に遭遇し、彼の知遇を

得て、日本に連れ帰るに到るまでの世界放浪記。インド編には、佐々井師の面倒を見、

ナグプールへの旅立ちを見送った日本山妙法寺の八木上人が登場。佐々井師の話を信じ

「死ぬ気で行け!死んだら骨は拾ってやる。」と送り出しながら、佐々井師が遠ざかっ

ていくと堪らず駆けだして「佐々井〜、辛かったらいつでも帰ってこいよぉ〜。」と

叫ばずにいられない人情味溢れる八木上人の普段の姿が伺える。著者も10日余りの滞在の内に、金

も目的もなく転がり込んできた自分をを真っ当な人間として扱ってくれた上人に対して若者らしい敬

意を抱いたようです。八木上人は師である藤井日達師が佐々井師と不仲になったことから、佐々井師

と距離をとらざるを得なくなり、悲しいことに焼身自殺して亡くなられたそうである。(T^T)

 

(6)インド社会と新仏教−アンベードカルの人と思想 山崎元一 刀水書房

日本でもっとも最初期にアンベードカル博士の思想を紹介した本。

持ってるけど、まだ読んでません。(^^;

 

 

 

 

(7)わが非暴力 藤井日達 春秋社 

八木天摂師の師匠で日本山妙法寺の創始者、藤井日達師の自伝。インド民衆への関わり

方の違いから、後に佐々井師と対立し、佐々井師は妙法寺との関係を絶つに到る。この

本の中にも、多宝山宝塔建設について書かれているが、思ったほど非難的な記述ではない。

引用すると「もう一人に高雄山のお弟子の佐々井秀嶺さんというかたがおって、この人

も、水と塩とおせんべいの食物で宝塔建設の大工事をやっているわれわれの姿をみまして、

 一緒にお太鼓も打って工事に協力してくれることになった。(中略)去っていった者もおりますけれど

 も、とにかくそういういろいろな人々が苦しい生活を一緒にして、とうとうお仏舎利塔を造りあげまし

た。」ちなみに、塔の写真も載ってます。妙法寺の塔のなかでもかなり立派なものです。

 

(8)日本中が私の戦場 佐藤行通 東邦出版社 

戦後最初(1955〜59年)の期間、佐々井師が滞在した王舎城日本山妙法寺管理者として

宝塔建設のための下準備を行った人物。日本では原水爆禁止運動や、成田空港建設反対

運動などの社会活動家として活躍した。インドでも農業指導を行うなど、日本での活動

と同様、宗教家としてだけでなく社会運動家としても行動している。ガンジーのアシュ

ラムや不可触民運動には、実行力が無く、形骸化していると批判的である。この人も

実績主義、現場主義の人なので、そう思うのはよく分かるとはいえ、師の命令で4年で日本に帰って

しまったため、説得力が弱い感は否めない。杉山龍丸氏をインドに連れだした張本人でもある。

 

(9)不可触民の解放をめざして 白鳥早奈英 かのう書房 

インドでの佐々井師の活動を紹介した本。佐々井師からの聞き語りが素になっており、

破天」と少し異なる、より人間くさい佐々井像が特徴。写真も豊富であり「破天」

で語られていない内容も多いので、両者の併読をお薦めする。インドでの女性関係の

記載も貴重。個人的には八木上人の哀しい、それでいて本人は納得していたであろう

最後が印象的。(T^T)

 

(10)夜明けへの道 岡本文良 金の星社 

子供向け(!)に書かれた、アンベードカル博士の伝記。佐々井師についての記載もあり、

前半2/3がアンベードカル博士、残りが佐々井師についてとなっている。分量の問題もあり

不可触民達の悲惨な社会状況への記載は弱いものの、「カースト制」に肯定的なガンジーと

アンベードカル博士の対立をきちんと描いている。それ故、ネルーがガンジーの推薦を受け、

博士にインド憲法の草案作りを依頼するシーンが感動的に描かれる。

佐々井師への記載は、事態が現在進行形のためか、博士ほど整理されてはいないが、仕方のない所でしょう。

なお、執筆に際しては、山際素男さんの指導を受けているとのことです。

 

関連人物

・アンベードカル ・山本秀順 ・八木天摂 ・V.P.シン ・カンシ.ラム ・藤井日達 

 

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