龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)

1529()..〜1584(天正12).3.24

 

 

注目理由

 龍丸さん、久作、茂丸と杉山家について調べていくと、やはりその家祖がどういう人物か知り

 たくなる。んで、杉山家の家祖というべき人物がこの龍造寺隆信。一言で言うと北九州地方を舞

台に、信長のように生き信長のように死んだ人物。「肥前の熊」の異名を取るかなりの無茶

しーで、彼がいなければ九州の戦国時代はもっとずっと戦争が少なかったと思う。

 

家を継いでいた親族(父も含む)を小弐家の命を受けた馬場、神代軍に誅殺され「円月」と名

乗っていた出家の身分から急遽当主となったが、未亡人だった母が彼を守るため夫の部下の後

に入らねば成らぬほどの崖っぷち状態からのスタート。その後も何度か城を追われるが、義

弟「鍋島信生(直茂)」や一族の助けもあり徐々に勢力を広げ、大友氏を討ち、最盛期には

九州五カ国を制覇する巨大勢力となる。

 

しかし、驕りから部下の信頼を失い、死を賭して立ち向かってきた有馬、島津連合軍との戦いで、

島津四兄弟のうち義弘と並び称される猛将「島津家久」の大軍を誘い込んで引き伸ばし、銃撃に

より一気に殲滅する「釣野伏(つりのぶせ)の計」にまんまと引っ掛かり、戦場で命を落とす

こととなる。最後の戦の時に肥満体(戦国時代に太れる人はごく稀)なので輿に乗っていたそう

だし、死に様は信長と言うよりも、今川義元にそっくりか。全国的にもっとメジャーになって良い

戦国武将だと思うが、同時代が700年以上続いた島津家の歴史の中でも最高(隆信に負けず劣ら

ずの戦国武将が島津本家に4人もいる)だったのは不運であった。

知略に富み、苛烈、しかし戦国時代においても突出した冷酷さゆえに人心を失い、自らの驕りか

ら、戦場に果てた生き様には色々と考えさせられますね。

 

参考文献

(1)九州戦国合戦記 吉永正春 海鳥社

戦国期に九州であった重要な戦いの土地と歴史的背景について記した好著。隆信に

ついての記述も多く、しかもちと辛口に書かれているので、杉山家の伝承と比較す

る際にも役に立つ。龍造寺家の宿敵「神代勝利」の戦上手と男気の光る「鉄布峠の

合戦」。隆信の部下で城を任された侍大将なのに勝利を暗殺しようと単身潜入して

きた小川信安を発見するも、せっかく来たのだからと酒宴に招き、その豪胆さに

共感し殺さずに帰しちゃうつーんだから、どっちも無茶で心地よい。大友軍進行による佐賀城包

囲のさなかに隆信の母「慶ァ(けいぎん)」の見せる気概と鍋島信生の夜襲による大逆転が楽し

い「今山合戦」。大恩ある蒲池家を親族同士で斬り合わせた残酷さゆえ、隆信から人心が離れて

いくきっかけになった「柳川合戦」。驕りゆえ自らを滅ぼした「沖田畷(おきたなわて)合戦

等、かなーりマイナーな戦いについても書いてあり、至極便利。隆信の画像も掲載されてますし、

実際に現場に足を運んで書かれている良書です。お奨め〜

 

(2)完訳ルイス・フロイス日本史10 ルイス・フロイス 松田毅一、川崎桃太 中公文庫

フロイスによる日本史のうち、この巻では隆信の死地となった「沖田畷の合戦」が

詳しく描かれている、隆信は貿易にあまり興味がなかったためか、元僧侶だからか

不明だが、大のキリスト教嫌い。布教の邪魔も迫害もしてるので、隆信の死に対す

るイエズス会側の表記は「やーい、ざまーみろ。天罰じゃ!!」思いっきり書いて

ある。当時は九州(それも北)と都周辺にしか布教拠点がないため、隆信の迫害に

ホント困っていたのでしょう。隆信を倒した有馬が有力なキリシタン大名なこともあり、偏見

バリバリで、一部史実と異なるところもあるが、隆信に関する貴重な資料であることは確かです。

 

(2)葉隠 上、中、下 山本有常著 松永義弘 教育社新書

鍋島武士、ひいては武士の心構えを描いた書の様に喧伝されているが、鍋島直茂

龍造寺隆信の家老兼戦闘隊長なので、実際は龍造寺家家臣の「いくさバカ」ぶりの

聞き語り本。こいつらをこの様に育てた殿様の「ネジの外れっぷり」がひしひしと

伝わってくる。なんでこの場面で殺し合いをしなくてはいけないのか?どーして、

そこで自殺しゃう訳?など、はてなマーク連発な展開が凄い。作者自身は虚弱体質の

上、実戦経験のある人物ではないので、全部鵜呑みにしちゃ駄目。個人的には出世の見込みのな

い男達が集まって、自分たちの理想を語り合っているという「伊勢物語」の設立過程から「みや

び」を取ったような、極々小さなサークル内の話と捉えている。残した文章が一人歩きするのは、

記録の持つ力としか云い様が無い。戦時中の日本軍や三島由紀夫は葉隠を賛美したが、こいつら

戦国時代の基準から見ても「かなりバカ」なんだから参考にしちゃ駄目でしょ。いやマジで。

岩波文庫版でも出てるが、現代訳じゃないとかなりきつい。登場人物の挙動が意味不明なので現

代語訳でも、かなりきついけどね。(^^;

 

(3)死ぬことと見つけたり 隆慶一郎 新潮文庫

隆慶一郎氏が葉隠れを元に書いた小説。舞台設定は直茂の息子、鍋島勝茂の治世下。

葉隠れに登場するキャラクターを「戦争しか能のない生粋のいくさ人」と「

を賭して主君に諫言を続ける近従」の二人に集約させ、戦争の無くなった時代に

武士としての充実感を持って生きようとする人物を描く。エピソードのひとつに、

徳川政権下において能力がありながらも時流を読み取れず、自ら滅んでいく龍造寺

本家の哀話がある。隆慶一郎、多作時の作品なので「影武者徳川家康」や「吉原御免状」の様な

緻密さはなく、現実身の無いキャラによる粗い印象の作品だが、割り切って読むとそれなりに楽

しい。「秘める恋」が親友の妻への思いとして描かれているが、葉隠れのそれは「衆道(男色)」

ですよねぇ。この本で語られる「主君に諫言を呈し、その咎で死を賜ることは平時における最高

の忠義である」という考え方は、彼らの主君である鍋島直茂自身が龍造寺隆信にその驕りと非情

さに対し諫言を呈し続け、左遷された上、命の危険すらあったという歴史的事実を考えると、

かなり深いものがある。

 

(4)島津義弘の賭け 山本博文 読売新聞社

東大が購入した「島津家文書」を元に、中世戦国領主の気風の抜けない島津義久を

中心とする薩摩地侍たちに対して、九州攻め、朝鮮の役で秀吉軍と接する事で近代

意識に目覚め、無理解の中で何とか島津家を存続させようと悪戦苦闘する島津義弘

を描く。秀吉の九州攻めに始まって2度にわたる朝鮮出兵で島津家の武勇は明、朝

鮮、日本の三国に鳴り響いていたが、戦に強いだけでは生き残れない時代が到来した

事を自覚し、絶望的な無理解の中で常に自らを死地に置き、毅然と立つ義弘の姿は哀しく美しい。

特に退却戦で改めて天下に知らしめた実力と、琉球や明との交易権を背景に、強大な徳川政権との

交渉を凌ぎきる関ヶ原以降の記録は重要。また、退却戦と交渉については近衛前久を読んでね。

 

(5)島津奔る 池宮彰一郎 新潮文庫

(4)の資料を基に、隆信を倒した島津四兄弟の内、戦闘隊長である島津義弘の苦闘と

彼を慕う薩摩武士たちの物語。白眉は中央の情勢に疎いため、義弘の懇願を聞かず

軍を送らない義久達の禁止を無視して、義弘の危機を救うために「自発的」に「

って」鹿児島から岐阜県の関ヶ原に向かう何百人もの男達と、関ヶ原退却戦の苛烈

な描写がイカス。朝鮮出兵以降を描いているため、実際に隆信を討った島津家久

すでに死んでいるが、家中にあって主人公の義弘同様に家来に慕われていることが感じられる。

隆信を倒した「釣野伏」という戦い方自体が、主君のためなら命を投げ出す命知らずで剛勇

「旗本衆」が居ないと成り立たないから、この戦法は島津家なら誰でも使えるって代物ではない

気がするし、沖田畷の戦いに家久を派遣する際に、兄の義弘が「死んでこい」といっている所か

らも、それが伺える。なお、義弘の薩摩における地位は、この本に書かれているような「殿様」で

はなく「軍司令官」に過ぎないので注意が必要。また、豊臣秀長家久を暗殺したことは彼にして

は珍しい卑劣な行為としているが、島津攻めの最終段階では、前線が延びきってしまった上、折か

らの長雨で食糧の現地調達が困難となっており、秀吉が親衛隊長である高山右近逃走経路の確認

と準備を極秘で命令しているほど、危機的状況にあったことを忘れてはならない。

 

(6)黒田騒動 作者不詳、原田種夫 教育社

隆信の息子で杉山家の先祖たる龍造寺龍丸は、鍋島家の刺客に命を狙われる所を隣

国の黒田長政に拾われるわけだが、その息子の代に黒田家で起こったお家騒動話

現代語訳。若殿家老(栗山大膳)の対立が大膳による幕府への直訴にまで発展した

わけだが、その過程で黒田家と鍋島家がいかに仲が悪かったかが描かれており、その

余りの大人げなさに苦笑してしまう。いくら嫌いだからって、長上下を着た使者の歩

くところに油撒くか・・。あと、自らの庇護を求めてきた大身の武士を、意地になって庇っていた

こともわかるね。まぁ、芝居の元ネタになったような本なので、かなーり脚色や因縁話、過剰な描

写も多いが凄くスピーディな良いテンポで話が進む面白い読み物である。なお、黒田家は肥後細川

家とも忠興の代から仲が悪かったりします。(^^;

 

(7)百魔(下) 杉山茂丸 講談社学術文庫 

龍造寺本家は江戸時代始め頃に絶えますが、明治の世になって茂丸の実弟、五百枝

(いおえ)が家名を復活させます。(龍造寺隆邦と名乗る)「貴様は不肖の身を以て、

先祖の巨姓大名をつぐとは言語道断!」と激昂する茂丸に対し、「略奪殺戮を旨と

した先祖と異なり、自分は天下に恥じる事は何も無い。しかも、この大姓を継ぐ事で

一緒に鉱山開発に失敗した外国人宣教師の苦境を救い、12万円という大金に変えた

のだから誉めて欲しい。」とのたまい、茂丸をぎゃふんと云わせます。残念ながら、隆邦は志を果

たせぬまま若くして亡くなりますが、龍造寺家は今も残り、現在はかつての宿敵、島津家と仲良く

お付き合いされているとのこと。微笑ましいお話ですね。(^^)

 

(8)史伝 鍋島直茂−葉隠の名将 中西豪 学研M文庫 *

隆信の義弟にして右腕。加藤清正も絶賛する戦上手で政治力は秀吉、家康の折り紙つき。

冬の夜には、寒さに凍える囚人達を想い、戦一筋に生きてきたため泰平の世に受け入れ

られぬ戦さ人達の困窮に涙する有能で人情味あふれる武将。その彼が龍造寺家に代わり

肥後を支配するようになったのは簒奪か禅嬢か。著者は禅譲派の為、隆信と直茂の対立

は特に描かれていないが、直茂から見ると、逆に隆信のことが良くわかる。隆信の死後、

後継者になるのではなく、鍋島家単独で大名として中央政権から認められたかったという秘められた野

望や、江戸時代に直茂顕彰の過程で隆信の事跡が歪められている事なども興味深い。なお、隆信の弟ら

を含む龍造寺一族は姓を変えたり、鍋島家に合流したりして、江戸時代も鍋島の上流階級として残って

るんですね。

 

関連リンク

佐賀県教育委員会・・・文化財コーナーに隆信の画像あります

 

関連人物

杉山茂丸 ・杉山龍丸 ・鍋島直茂 ・島津義弘 ・島津家久

 

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