今日のガンジー運動
公開市民教室の記録−1972年7月−
杉山龍丸
インドには全然“森林”が無い。森林が無いから銅・刃物が無い。台 所に包丁が無い。だから頭が切れるシャープという思考も無い。土壌の 中に有機物が無い。大地の中に還元すべき物が無い。大地は枯渇する。 六億インド人社会のロート型構造の頂点にいる、アーリア人が森林 を無くした。インダス川〜タール砂漢〜モーヘンジョダロ…アーリア ン人はレンガ・ハガネを作った。 “文化”とはあたかも民衆の働く道を塞ぎ、人類の未来を“砂漠化”する 代名詞かのようだ。最下層の民衆は戦後奴隷である事から自由契約になる。 だが働く道の無い彼らに待ちうけているのは“餓死”だけだった。 南アフリカから帰国したガンヂーは“アシュラム”(塾)運動を開始し た。その性格は“サッチャグラハ”(真理把持)を中心に、アヒンサ( 非暴力)“。”ナワ(奉仕)“である。ガンヂーは不可触民”ハリジャ ン“といわれる最下層民衆を、”神の子”と呼び、山羊と羊と糸車、ま ず指先から生活方法を教えた。アシュラムは更に学校・授産所・病院・ 購買売店(物々交換)を建てた。 ガンジー没後、ヴィノバを中心に“サルボダヤ”(人民が自ら向上する) 運動は受け継がれる。"ブー・ダーンー“(自発的土地寄進)運動から”グラ ーム・ダーン“(村落寄進)運動へ だがネールの近代化政策=重工業中心がガンヂー運動の延長として民衆 に安く日用品を与えるのが目的だったにも関わらず資本家だけを儲けさ せてしまったように、“糸車”は単に象徴化され、その弟子達は体制化 されるもの、それに心情的に反発するものに分裂してしまっている。私 は今、陶器、農機具、竹細工、作農等各地域独特の産業を起すべく指導 しているが。・・・この後、杉山氏持参の映画を写す・・・ナレーターの声 「石灰岩はインドからヨーロッパに続いている。・・・文化があるが故に貧 困である・・・」に初まる。杉山氏が指導している現場の様子。インド人に 教える技術指導の成果に一喜一憂する杉山氏。だがその多くは“失敗” である。苦渋に満ちた杉山氏の表情。 ラストは孤児と共に鍬をふるう杉山氏の顔がオーバ・ラップされて終る) 私は日本に絶望している。だが、その日本経済が健全なのは民族産業 があるからだと思っている。インドも重工業中心の産業革命から地域産 業の目立へ進まなければならない。 十月三日にJapan India Culture Welfare Associationが創立されました。 私は、事務局長になっている。・・・実をいうと私は映画で鍬をふるって いるが、鍬を握っている所をインドの役人に見られたら仕事に支障を来たす。 鍬を握るのはカースト制の“下位”と決められているから。私はインド人 が嫌いなのだ。結局、父に対して自立する過程での祖父の隔世遺伝が私を こうならしめていると思う。 文責 平山 |
声なき声のたより 55号(1973年4月10日発行)
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