幻の戦斗機隊 (幻の戦闘機隊)

 

五、無限地獄                                   <幻の戦斗機隊>

扶桑丸から離れ、扶桑丸が沈んで、どれくらいの時間が経ったであらうか?

真暗の海面で、私がすがっている筏の兵士だけの顔がかすかに見えるだけで、何処へ、

どう流れているのか?

私達が首まで浸っているところの肩越しに波が来て、筏の上を流れてゆく。

夜光虫らしいものが、にぶい光を放つ。

夜光虫は、水中の音の響きや、空気に接すると、青白い光を放つものらしい。

しかし、私には、そのようなものより、私の部隊の兵達が、何処を如何に流れ、漂って

いるのか?

闇をすかして見るが、首まで浸ってしまっていて、寄せる波に、眼鼻に海水が入らない

ようにするのが、せい一杯で、黒い波のうねりに遮ぎられて、視界が全くない。

何とかして、視界を得るために、筏の端に力を入れて、体をあげるが、僅かに首が波か

ら出るだけで、その視界でも、他の兵の様子を見ることが出来ない。

海面には、少し風があるらしい。

少し無理をして、肩を海面に出るようにしたら、風で、非常に寒いのに気付き、むしろ、

海水の中の方が、温かった。

扶桑丸は、確かに沈んだ。

しかし、三十四隻の船団は、一体どうなったのであろうか?

私の部隊の兵士たちの行方も判らぬのに、船団の様子が判らぬのは当り前のことであ

るが?

潜水艦にやられたら、爆雷攻撃がある。その爆雷が、水中で、爆発すると、腹の腸が、衝

撃の水圧でズタ、ズタに切れるということであるが、扶桑丸から海水に入リ、扶桑丸の

沈む渦の申に巻き込まれたと思はれるが、この様な爆雷攻撃の水中圧力の衝撃も、何も記

憶には無い。今あるのは、黒い海水の無限の広さだけである。

そして、波のうねりと、筏のうねりにむすびついた、体が懐かにゆれるだけのものであ

る。

海面を渡る風の中に、何かのささやきのよづなものが頬で感じるなと思うと、周囲が薄

く、ぼんやりと、見え始めた。

見る見る、そのぼんやりとした光が、あたり一帯に広がつて来て、真暗闇だつたものが、

少しづつ、海面が見えるようになった。

眼を上に向けて見ると、大空の薄雲が白く見える。

ああ、夜が明け始めたなと気付いた。

見る見る、周囲が明るくなって、二十米くらい向うに、もう一つの筏が流れていて、

十名くらいの兵が、その筏にすがりついて漂っていた。

その中から、私の部隊の兵が、二人程、

「あっ、隊長がっ!

あの筏に居るっ!」

と、叫んで、私の方に泳いで来ようとしたので、私は、慌てて止めた。

「ちょっと、待て、

今に、この筏は、その方に近づくからっ!

そのときに、こちらに来いっ!」

と、いうと、二人は手を挙げた。

オカシナもので、私の筏は、風の可減なのか、転々とその筏に近づいていったので、五

米くらいに近づいたとき、その二人は、私の方に移って来た。

「オゥ!お前達は、元気だったか?

他のものは何処え行つた?」

「いや、隊長っ!

退船!

という、隊長の声で、飛び込んだのですが、扶桑丸の沈む渦に巻き込まれて、最初、一

緒に飛び込んだが、何処え、どう行ったのか、浮び上がって、目の前にある筏にすがり

ついたまま、さっぱり判らないのですよっ!」

と、いう。

私は、

「よし、よし、

もう動くなっ!

この筏に体をしばって、体を動かさいように、出来るだは、体力を消耗させないように

しろ。

俺も、暫く泳いで廻ったが、何処え、どうなったのか?

俺にも判らぬのだ。

その内に、もう少し経つと、全体が見えて来るようになるであろうからなっ!」

と、いうと、彼等は黙って、体を筏にむすびつけて、波の間に間にゆらぐようにしていた。

やや明るくなって、筏の周辺に、色々のものが浮かび、漂っている。

無数の木片が、端の方を、雷撃で、打ち砕かれて、ささらのようになり、鋭い槍になっ

ているものがある。

これらが、波のうねりに乗って我々の方になだれ打って落ちて来る。

まともに体に受けると、体にささってしまって、大傷をする事になる。

これを避けるのは、仲々難しい。

体は波にゆられ、筏にしばりつけているのであるから、あまり体の自由がない。

南瓜や冬瓜が、海面に漂って来る。

首まで海水に浸っている口元まで、それがやって来る。

私自身も、これらの南瓜や冬瓜を、空いている手で、押しやった。

他の兵達も、しきりに、この南瓜、冬瓜等を、手で離している。

あんなに、豚の餌といって、私に喰ってかかっていたのにと、心にオカシクなった。

暁暗が、何時の間にか吹き払はれたようになって、薄い黒いと思っていた大空の雲は、

何時の間にか、白い雲に変り、暁光に映えていた。

風も次第に無くなって来たのであろうか?

頭からかぶさって来るような波は殆ど無くなった。

只ひどいうねりがあるが、そのうねりの頂点に筏があがったとき、.一面の視野が広がっ

た。

いやはや、驚いた。

巾千米に近い海面に、一面に兵士が漂っている。

海流か、風の故であらうか?

その兵士の漂流の巾が、延々遥かな水平線?までつづいているのである。

視野が低いので、何qつづいているか判らぬが?無限である筈はないであるが?視野

のある限りつづいている。

東の空の雲に、ほのかな茜色が見え始め、太陽が水平線にあがるらしい。

兵士の中から、誰となく、歌声があがった。

「海ゆかばあー

水浸く、屍ねっ!

山ゆかばあ!

草むす、屍ねっ!

大君の辺にこそ!

死なめーっ!

かえりみは!

せじ!」

何処から、この歌声が上がって?

そして、消えてゆくのか、判らない。

私も、思はず、潮風にむせび、首まで、海水に浸りながら、一回、二回と、この歌声に

つられて、口から、唇から歌声をあげた。

しかし、二回目に在って、海水の中に、一つのカが、起って来るのを感じながら、しか

し、どうする事も、出来なかった。

兵士達の漂流は、どうゆう訳なのか判らぬが、夫々、一箇所に、双方の関係を保って

いるのではなく、この大きな漂流の群の中を、あちらに寄つたり、こちらに流れて来たり

しながら、何処かえ、漂い流れている様子である。

飛行第三十一戦隊の経理将校である、松崎少尉が、一本の大きな板木につかまつて、

私の近くえ漂いついて来た。

私は、彼に大丈夫かと声をかけると、片手をあげて、ニコニコして、元気そうであった。

「私の方に来ぬか?」

と、いうと、大丈夫というように、手をあげて、そのまま、何処かえ漂流して行って、私

は、二度と彼の姿を見ることが出来なかった。

大空は、何時の間にか、薄雲が無くなり、南国の太陽が、灼熱の光を、海面に投げかけ

て来る。

海面に漂っているので、何処え逃げることも出来ぬし、蔭になるものが無い。

体は海面下にあるので、首から上の頭に冠った、戦斗帽が、唯一の保護になるだけであ

る。

一つの筏に、私の船に乗っていた、看護婦部隊の一人が、帽子もなく、上衣もやぶれて、

筏の上に載せられて、うづくまり、その筏の周辺の縁に兵士達が、彼女を守るようにし

て、漂っていた。

波は穏やかになったとは云え、海面は、強い微風が吹いているのであらうか?

彼女の破れた上衣が、風にひらめいて見える。

右肩から、右腕え破れた上衣より暴露されている肌は、太陽の光に、また潮風に真赤に

なっていた。

この看護婦さんを載せた筏も、何時の間にか、何処かえ漂っていった。

空の太陽の位置を見ると、すでに正午を過ぎているらしい。

もう八時間以上も海水の中に浸って、漂っている事になる。

水も飲みたいし、腹が空いてきた。

何時とはなしに、我々と一緒に漂流してついて来た南瓜や冬瓜が、筏の上に載せられて、

帯剣で割って、各々の兵が、囓り出した。

私も、その一切れを貰って囓って見ると、丁度良い塩可減で甘味かった。

冬瓜の水っぽい瓜は、少し臭みがあったが、渇いた咽喉、口を湿めすのに、最も良い果

物となって、誰からとなく、争って、南瓜と冬瓜を喰べ始めた。

船の中では豚の飼といって、嫌って、鼻先きに浮かんで来る南瓜冬瓜を手で避けていた

のにと、オカシクもあったが、私もあんなに、美味なものとは、知らなかったという思出が

残った。カン、カンに照りついている太陽の光りに、海のうねりは、青黒く果しなくつ

づき、延々とつづく兵士の漂流帯は、波のうねりに、縞をなして、流れてゆく。

只なすこともなく、波の上に首を出して、漂うより方法がない。

もう十時間余も、海水に浸かっている。

海水の中から手を出してみると、心なしか、指先が、白っぽく、ふやけて来た心地がする。

無慮、一万人以上もあらうか?

兵士の漂流の群のためか、私の恐れていたフカやシャチなどの襲撃もないようである。

かと云って、体カを維持するという方法もなく、只無謀な考えや、行動をしない事、考

えぬことが、唯一の方法であらう。

考えぬということは、難しい事であることを、思い知らされた。

考えること、心の動きそのものが、体カを消耗する。

波や海のうねりに、筏にむすびつけた体が自然に応ずる事以外には、何もせぬことであ

るが、やろうとしても出来ない事でもあるし、筏の上にあがるのは、風や、太陽で、かえ

って体力を消耗する事にならう。

突然、何処からか?兵士達の軍歌を唱う声が、次々に伝って来た、

何もする事のない、無カな漂流に、精神的な空白と無カ感を救うための歌声であったが、

それは、心を励ますことにはなるが、かえって体力を消耗する事になる。

その歌声も、十時間余の漂流で、体力がつづかないのか、何処え消えて行つて、続か

なかった。

その歌声が遙かに消えたあたりで、突然、別な歓声があがって来た。

その声の方に眼を向けると、地平線の方に飛行機の爆音がかすかに聞こえる。

その爆音が愈々強く響いて来て、高度二百米くらいで、一機の海軍水上機が、我々の頭

上に飛来した。

二つのフロートをつけた水上偵察機である。

操縦者も、同乗者も風房を開いて、顔を見せて、手を振っている。

海面から、どっと、次々に歓声があがった。

扶桑丸が潜水艦に攻撃を受け始めたのが、午前四時、丁度、月が西に没してすぐからで

ある。

そして、魚雷を喰ったのが四時十五分、沈没したのが四時四十五分頃、私は、確か四時

三十五分頃、扶桑丸を離れた。

それから約十時間三十分で、やっと、偵察機がやって来た。

我々の船団は、何処に行ったのか?

船団の護衛官は、当然、攻撃受けた地点の緯度・経度が判っている筈であるが?

或は、潜水艦の攻撃から逃れる、進路を変進したり、米潜水艦を攻撃したりしている

ことで、連絡が遅れたのであらうか?

何も考えないようにして、漂っていた頭脳に、俄然色々の思いが浮かんでは消え、

消えては浮かんだ。

人間というものは、どんな時でも、色々と自分の生きられる、自己中心のものの考えを

するものであると、つくづく思つた。

この水上偵察機の飛来は、海面の兵士等に、希望を与えたことは事実である。

漂流している兵士の流れを見て帰っているのであらうか?

海面近くを、北の方と思はれる地域まで飛び廻って東の方に消えていった。

私の心の中で、浮かんで来る、救助がもうすぐ来るという考えを、打ち消し、打ち消し

ていることは、精神的な消耗を倍加するものであらう。

只何も考えず、海中を漂っていたときの方が、時間的観念を失って耐えやすかった。

ジリ、ジリと、助けられる、いや、まだ、難しい。

いや、助けられるであらう。

いや、それは、希望的な考えである。

具体的、助けられるようになって、考えるべきで、覚悟を決めて置かねばならぬ。

などと、自問自答していることは、時間的に苦しいものであることを初めて知った。

午後四時すぎ、三隻の掃海艇と、護衛艦が、水平線に現はれて、こちらにやって来る。

兵士達が、

「救助にやって来たあーっ」

と、いう歓声があがつた。

風が、南の方から吹いているのであらうか?

駆逐艦、掃海艇の一隻は、南の方から、風に向って、横に艦体を停止させ、救助作業を始

めたらしい。

もう二隻の掃海艇は、私の漂流しているところより、更に北の方え進んで行って、救助作

業を始めたようだ。

同じ筏にすがっていた兵士達に、私は、声をかけて

「愈々救助が始まったようである。

お前達、慌てるな。

俺は、ちょっと様子を見て来る。」

と、云って、救助の掃海艇の方に近づいて見た。

二隻の駆逐艦と、掃海艇は、右舷側に無数のロープを垂らして、兵員が、そのロープにす

がって、甲板え登ろうと、もがいていた。

恐らく、そのロープにすがりついたとき、体力、気カを消耗し尽くしたのであらうか

そのロープにすがったまま、呆然としている兵士がいると、その上から、またその上か

ら無数の人々の手が、そして、兵士が上がってゆこうとうごめいている。

掃海艇の舷側に垂らしている綱ロープは、二十本以上もあらうか?

その一本、一本に少くも二十名前後の兵士、人が、すがりついているので、舷側は、一面

に、兵士の吊し柿を並べたような光影になっていた。

そして、その兵士が捨てた筏や、木片の群が、一面に浮かんでいる。

その中を、更に新しい筏が、口々に何かを叫びつつある兵士達と共に近づいてゆく。そ

して、垂れ下った兵士のつながりの上に、すがりついてゆく。

掃海艇の甲板では、多くの水兵が、口々に何かを叫びながら手の届くところまで、昇っ

て来た兵士の手を掴んで、引張りあげている。

掃海艇は、風に委ねて、風上から波の上に止ってはいるが、波のうねりで、上下にゆる

く動いている。

その度に、垂れ吊り下った兵士の群が、舷側でゆれている。

そのロープが、甲板と舷側の角で、摺り切れるのであろうか?

あっと思う間に、兵士を吊り下げたまま、切れて、落下すると、そのまま、掃海艇の船体

の底の方にもぐってしまうのか?または、掃海艇の艇体そのものが、風圧で風下の方に動

いているのか。兵士達が、一斉に鋭い悲鳴をあげ、水しぶきをあげて海面下に潜ってしま

うと、再び浮かびあがっては、こなかった。

私は百五十米近くまで近づいて居ながら、この地獄の中に入る勇気は無く、呆然として、

近くの筏にすがりついたま様子を見ていた。

私と一緒に漂流して来た、元の筏の方を振り返ったが、何処に行ったのか?見出すこと

が出来ないので、注意をする事も出来なかった。

ところが、妙なことが起こった。

掃海艇と私の間には、びっしりと多くの筏や、木片が浮かんでいたので、私のすがりつい

ている筏は、次第に、その筏や木片の中に入ってゆかず、その群の端辺のところを、掃海

艇の艇尾の方に舷側にうごめき、つらなっている兵士達の群を前にして、筏は次第に掃海

艇の艇尾に近づいて行った。

艇尾の舷側は、恐らく爆雷であらうか?

ドラム罐より少し小さい樽状のものが、一列に並べてある。

その最後の罐状のものがあるところから、艇尾は斜に低くなっていた。

その艇尾の低いところが、波のうねりに上下していて、一番下がったときは、海面から五

十糎くらいの高さしかない。

しかし、その艇尾は、掴まえるところも、何もないし、綱も下っていない。

段々と、その艇尾に近づいて行ったが、その艇尾の一番下がったときに、どうして、掴っ

てあがるかを考えているとき、一人の水兵が、反対方向の舷側から、艇尾を通って、兵士

達の群の方に行きかかった。

私は思はず、その水兵に声をかけた。

水兵は、ギョツトして、何処から声をかけられたのか、不思議そうに、あたリを見廻し

ているので、私は海面から手をあげて、もう一度水兵を呼んだ。

彼は、やっと、私に気付いて、私え投げる綱を捜している様子であったので、私は、も

う一度声をあげて、肩にかついでいた軍刀を外して、片手に持って、彼の方に差し出した。

彼はその軍刀にむすびつけてある麻縄をつかんだので、上下する艇尾の動きを利用し

て、最低のときに、水兵に合図して、呼吸を合はせて、艇の舷側に足をかけて、引張りあ

げて貰ったら、難なく艇の甲板上にあがる事が出来た。

水兵は、私が大尉であるので、驚いたらしく、慌てて敬礼をしたので、私も手をあげて、

「いや、有難う。お蔭で助った。」

と、お礼をいうと、慌てて、兵士達の群の方に去って行った。 

しまった、氏名を聞いて置くのだと思ったが、水兵の群の中に入って、兵士達を介抱し

ている様子で、その暇がなかつた。

やれやれ、助ったと、一安心したが、艇尾で、服装を正した。

水筒が無くなってしまったのは、気ががついたが、○嚢も無くなっていた。

拳銃のみはついていた。

軍服も僅かに鍵破れがあるくらいで、大した破れもなかったので、安心した。

戦斗帽を被り直して、艇首の方に歩いて行った。

助けあげられた兵士等は、水兵達の誘導で、掃海艇の砲塔や煙突、機関室、司令塔等の

間の通路を通って、右舷より左舷の甲板に移動して、休息をしていたが、大部分の兵士は、

海からロープをつたって、舷側え、そして、右舷の甲板上にあがったとき、既に、体力も

精神力も尽きたのか?または、やっと助かったと思う安堵の気持からか、息絶えたよう

になって、横たはっているものが多かった。

舷側のロープにおける、兵士等の群の中から、争って、はい上り・よじのぼったことで、身

の力を使いつくしたのかも知れぬ。

それらの兵士を、軍医であろうか?水兵等と共に、一人一人を点検して、処置をしていた。

私はそれらの群の中を通って、司令塔の下について見ると、司令塔から一人の精悍な顔

立ちの将校が、窓から顔を出して、兵士の群と、海上のまだ筏にすがっている兵士達の

情況を、じっと見守っていた。

近くの水兵に、「艇長は何処か?」と尋ねると、その人を指さしたので、タラツプをあ

がり司令塔の室に入ると、私の姿を見た司令は、私の方を振リ向いて、不思議そうな顔で、

しかめて見ていた。

私は姿勢を正して、敬礼し、

「飛行第三十一戦隊、整備隊隊長、杉山大尉、只今救助されました。お陰様で、助かりま

した。」と、挨拶すると、司令は、同じ大尉であったが、海軍式の敬礼をして、

「この掃海艇の、司令です。よく、御無事で、貴方は陸軍出身でせう?さすがに、この

様な状況で、挨拶が出来ましたね。」と、変な答礼であった。

司令に、助かった挨拶をしたのは、私だけだったらしい。

「何か、お役に立つなれば、いたしませう。」と、いうと、

「いや、海の上の事は、我々に委せて、休んでいて下さい。」

と、云って、窓側からしきりに、救助の指揮をしていた。

掃海艇の司令塔というものは、珍らしかったので、見たかったが、司令塔には、司令以下、

数名の将兵が、緊張した面持ちで、働いていた。

司令に、

「では、休ませて頂きます。」

と、敬礼すると、

「杉山大尉、本艇は、全艇、火薬庫みたいなものですから、魚雷をったら、瞬時に爆発し

て、極楽往生でせう。そのつもりで、居て下さい。」

と、冗談か?本気か判らぬことを云って、大笑いしていた。

司令塔を出て、甲板にあがって、上って来る兵士達の手助けを、水兵等として、励ました。

私は幸いであったと思う。

兵士達の三分の一は、皆、何処か負傷をしている。

船から海面に飛び込むとき、飛び込んだとき、上から飛んで来る兵士達の銃や、剣その

他のものによる打撲傷や、すり傷は良い方である。

ひどいのに、船と共に沈んだ木材の破片が、ササクレだったものが、海面下深いとこら

に船と共に沈んで、それから海面に浮上して来るのが、海面に居る兵士を下から槍のよう

に突きあげて来たのである。

下肢の大腿や股に突きあげられて、無残な負傷をしている兵士がある。

一人、股間を突きあげられ、下腹部に負傷している兵が、助けあげられ、狂ったように、

何かをわめいていた。

水兵と、近くの兵二人が、彼を押えて、軍医が治療をしているが、狂ひまわっていた。

残念ながら、私の部隊の兵士を、助けられたものの中に見ることが出来なかった。

大部分の元気な兵士達は、甲板下の水兵の睡眠休養室に収容されているらしいが、私は、

見にゆくことが出来なかった。

次から次ぎえ、兵士達があがって来る。

まだ海面に無数の兵士達が居た。

それらが、次から次えと、救助縄にすがりついて来る。

掃海艇の司令が、それらの兵士に、「慌てるな、全部助けるから」と、声を涸らして、

叫んでいる。

私も、水兵のメガホンを取って、同じことを、叫んだ。

兵士達が群がりすがって来る海面の周辺の外には、捨てた筏が一面に漂っている。

その外に、一つの筏が漂っていて、その中央に、一人の兵か将校か判らぬが、載って、

波のうねりに体を合せて、座禅でもするように坐っている。

水兵や、私が、

「今、助けてやるからな!」

と、彼に叫ぶと、彼はチョィと片手をあげて、何も云はず返事をする。

「元気か!頑張れーっ」

と、いうと、チョィと又手をあげて返事をする。

「大丈夫かっ!もうすぐだからなーっ!」

と、いうと、又、チョイと手をあげる。

いやはや、全く落着いた奴が居るものだと、私は感心した。

もう夕暮の闇が切まるときである。

殆どの兵士達を救助した掃海艇は、此の救助現場を離れて出発した。

アパリ港にゆくのかと思っていたら、明朝夜が明けて、着いて見たら、アパリ港の西方、

呂宋島の最北西端の岬から南の海岸線のラオアグ(LAOAG)港であった。

ラオアグ港には、扶桑丸の船団が無残な状況で停泊していた。

三十四隻の船団は、僅か九隻のみになっていて、その九隻も、船団の先頭を走っていた

先導指揮船の船首は、半分無くなったようになってしまっていた。

外の船も、船尾が傷ついたものもある。

私が甲板に出て来ると、撮海艇の司令が、私のところに来て、

「杉山大尉、

昨夜、腹部を傷ついていた兵は、本日早朝、死亡いたしました。

海軍の葬儀の例としては、水葬にするのですが、どうしませう。

困ったことに、この兵士の所属していた部隊の指揮官は、誰も居らぬのです。

貴方の方で処置して異れますか?」

と、いうことであった。

私は、直ちに、

「いや、待って下さい。

航海中で、貴方の艇が任務について居られるのであれば、水葬もやむを得ぬと考え

ますが、もう艇は陸地に近づいて、皆上陸するでせう。

遺体は、私の方で預かって、上陸させて、処置をすな事にしませう。」

と、いって、私は、甲板上で、飛行三十一戦隊で、この掃海艇に救けられたものを集め、

この遺骸を引取った。

さて、この死亡した兵士の身許を調べて見ると、扶桑丸に乗っていた、東京の歩兵連隊

のものであった。

確かに、その部隊のもの、将校も、この掃海艇に乗っている筈であるが、皆、一刻も、

陸に上がってという気になっているのか?誰もこの遺骸に気をつけるものがない。

掃海艇より毛布を貰って、遺骸を包み、数人の兵で担いで、陸から来た、サンパンに乗せ

て、上陸した。

三十四隻の輸送船団が、僅か九隻になったとすると、一つの船に二千人〜四千人の兵士

が乗っていた状況で、十万前後の将兵が、米潜水艦の攻撃で、無一物、無武装となってし

まったのである。

午前四時十五分の月沈と同時に起った攻撃は、少なくも数隻の潜水艦が攻撃網をつくっ

て襲撃し、それも、段々と待ち撃ちを行ったのであらう。

扶桑丸に命中した、魚雷の航跡は、私の眼の底に焼き付いて、離れないであらうが?

魚雷は扇状に発射されても、集団を組んだ船団には、百%に近い命申率であったであらう。

中には、潜水艦が浮上して攻撃していたという兵も居た。

 

六、遭難の話題

 扶桑丸の潜水艦による魚雷攻撃の命中した箇所は、中甲板の船腹の中央やや船首寄

りのところであった。

 どういうことであらうか?

 この魚雷は?

私が魚雷を見たのは、優か二百米くらいのところからで、実際の見た航路は、百米くら

いであったであろう。

扶桑丸に魚雷が衝突したときは、確かに、ドラム罐をというより十八立入りの石油罐を、

鉄棒で、突き刺したような、音であった。

そこは、石炭庫で、しかも、空になっていたことから、爆発は、空の石炭庫を突きぬけて、

反対側の船腹の鉄板に当たって爆発した事になる。

ドカンと、船体全部が飛びあがるよう、衝撃を受けたのは、このときであった。

このため扶桑丸の船腹は、魚雷が当った左舷の方は、魚雷が突き抜けた穴だけで、魚雷

が爆発した右舷の方に大穴があいたことになる。

機関室も、このため、魚雷の爆発が空の石炭庫で、被害は少なかったようである。

しかし、右舷の大穴は塞ぎようもない大穴になっているため、海水がドツと入って来た

のである。

普通、魚雷を受けたら、その爆発で、魚雷の当たった方から反対側に傾き、そして、水が

侵入することもあって、船体の揺り戻し性能で、次に魚雷の当たった方に傾斜が起り、こ

のように振動しつつ、沈没してゆくというのが常識のように云はれていた。

私は、一応そのように考えていたが、扶桑丸の場合、魚雷の当たった左側えの衝撃で、

右舷に傾き、その右舷に大穴があいた為、右側に傾いたままであった。

私は、船橋の上で、多分揺り戻しを考えて、一等航海士に尋ねたのであったが、彼は、

手を振って、右舷に大穴があいていることを私に教え、もう沈没するだけだと答えた。

さて、この沈没であるが、暗黒の海面に、次々に攻撃して来る米潜水艦の魚雷の発射衝

撃が海面に生きていち夜光虫に伝はり、青白光の波紋を弧状に画いて、海面を走る。

その魚雷の命中と爆発衝撃が、また、海面の夜光虫の光の波紋をつくる。

真暗闇の海面に走る夜光虫の波紋の縞は、この世のものと思えない。

その海面に火炎を起こした船の焔の色々が、赤々と照り映える。

海面の波が、三角形の反射鏡のように、この赤色の焔を、四方に反映させる。

そこに、夜光虫の光の波紋が縞が走る。

扶桑丸の船体は、見る見るうちに右に傾きを増して、船橋の上の手摺りにつかまって、居

られないようになってゆくと、甲板上の貨物トラツクも、船首にあった高射砲も船尾の搭載物も、

スザマしい音をたてて転落してゆく。

また波の上に斜めに出ている煙突からは、凄ましい白煙が吹き出す。

汽罐に水が入ったのであらうか。

或は、汽罐が爆発したのであるかも知れぬ。

私の背後ですざましい音がしたのが記憶に残っている、

私が、船橋の上で立つことが出来なくて、船橋の右側のところまで海水が来たときに、

船橋の床を滑って海水に入り、背後を見ずに、ひたすら船から離れることを考えて、泳い

でいるとき、船体が沈没する渦巻きに、巻き込まれたらしいのは、かすかな記憶として、

残っている。

そうだとすると、私が海水に入ったときには、扶桑丸のデッカィ煙突の根本まで、海水

の中にあったことになる。

飛行第三十一戦隊の整備隊の少年飛行兵出身で、電気の係である、森亮という軍曹がい

たが、彼の後日談として、私の命令で、右舷から海に入リ、一生懸命泳いでいたところ、

扶桑丸の船体が、右に傾いて、沈没して行ったため、大きな煙突は、右側に沈んで行って

しまった。

扶桑丸が沈んでいったときの渦もあったが、この大きな煙突が海面に沈むとき、扶桑

丸の機関室の罐釜(ボイラー)に煙突から、大量の水が吸い込まれた。

この森軍曹は、この煙突から吸ひ込む海水の中に入って、煙突の中に入ってしまったの

であるが、吸い込んだ勢で、罐釜が一杯になった反動で、いくらかの水を逆に吐き出し

たそうで、彼はこの時吐き出した海水と共に、海面え吐き出されたということであった。

生命の運の定めるところ、オカシナ事もあるものである。

飛行第三十一戦隊の地上部隊は、ラオアグより、リンガスン湾のサンフェルナンドえ汽

帆船で輸送され、サンフェルナンドから、マニラまで汽車輸送で送られた。

そして、マニラの兵站宿舎に宿泊した。

宿泊して、二日目、ひょこり、扶桑丸の水夫長が私を訪ねて来た。

ゴマ塩のイガグリ頭の老水夫長である。

挟桑丸が沈んで、もう半月以上が経っていた。

お互いに、

「オウ、貴方は元気でしたか?」

と、手を取り合って、再会を喜んだ。

何もないので、渋ぶ茶を出して、あいにくと、鮭が無い事を詫びたら、水夫長は手を

振って、

「杉山さん、

私は、貴方に是非伝えたい事があって、このように訪ねて来たのです。

今日は、本当に真剣に聞いて下さい。

私はこのような男ですので、冗談や、人におべっかを申しません。釜山から、そして門

司から、あなたの部隊を乗せて、私も長い間船乗り稼業をして来ましたし、多くの部

隊の輸送にも従事してきました。

しかし、貴方の部隊のような兵士を運んだのは初めてです。

いや、これは、お世辞ではありません。

このことは、私の心からの本当のことを、貴方にお伝えしたい。

貴方にじかに会ってお話をしたいと考えたことです。」

と、真剣な顔で、朴訥な言葉で、私に話し出した。.

深い皺を刻んだ顔は、心なしか、血の色が真剣さを表はしていた。

私も容姿を正して、承ることにした。

「杉山さん!

扶桑丸は残念ながら、十五分しか浮かんでいませんでした。

私は、救命ボートに乗って漂流し始めたのですが、貴方の部隊の兵士に遭うと、出来る

だけ多く、救命ボートの舷につかまえさせて、漂流しました。

扶桑丸が闇の海の中に沈没して、やがて夜があけ、何万という兵士が漂流している景色

は、いや凄絶というより、すざましいものがあって、中には、負傷したのか、無残な姿

で死んだ、死骸が漂っていました。

何時、何処で、どうなるのか判りません。

そのときに、一人の貴方の部隊の兵士が、一人、救命ボートの命綱にすがって、海水の

中を漂流しながら、すすり泣きを始めた奴が居ました。

私は、このような無骨な気象ですので、

「こらっ!

帝国軍人ともある奴が、このようなときに、泣く奴があるか?

この様なときこそ、軍人として、元気を出して、生き抜くのだっ!

この馬鹿ものめがっ!」

と、大声を出して叱りつけたのでした。

そしたら、その兵士が、このように申しました。

『水夫長さん!

貴方の私を叱る気持ちは、良く分かるし、有難いと、思います。

私が、思はず、今泣いていたのは、扶桑丸が沈没して、何処え、漂流してゆくのか

判らない、今の状況で、心細くなって、泣いているの.ではありません。

水夫長さん!

貴方は、私の部隊の杉山大尉を良く御存知でせう。

その隊長が、満州に居るとき、そして、扶桑丸に乗るまで、大変な努力をされました。

隊長が、申されるには、

この比島戦は、日本の最後の決戦である。

我々は、我々の出来る限り、最善を尽くして、祖国、日本のために戦はねばならぬ。

隊長は、既に決死の覚悟で居られましたと思います。

我々は、飛行第三十一戦隊の整備隊です。

工具器具と部品で、飛行機を整備する仕事です。

隊長は、満州、朝鮮、日本国内、出来る限りの部品、工具を集めて来られました。

しかし、その努力の結晶の工具、部品も、扶桑丸と共に、全て沈没してしまいました。

その隊長も、扶桑丸の船橋の上に立って、最後まで指揮をとって居られました姿を見て

いますが、今、何処に居られるのか?

工具も部品も無く、隊長も居られない。

隊長が居られるなればなんとかして、最後まで戦うこと、最善を尽くすことが出来るで

あらうと思いますが?

これから、如何にして、戦うか?

それを思うと、遂に、思はず、悲しみが、噴き出すような気がして、すすりなきになり

ました。

隊長は、最後の最後の最後まで、望みを捨てるな!

徹底的に、最後まで、最善を尽くせと教えられました。

それで、私も、体一つ、命一つになってしまいましたが、その覚悟は決めていますが、

これから如何に戦って、故郷に人々にと、悲しみが噴き出してきましたので、遂、目頭が

熱くなって、すすりあげてしまいました。』

と、いうことで、私も、その兵隊の言葉を聞いているうちに、眼が熱うなって、

とう、とう、私も、貰ひ泣きしましたよ。

私は、馬鹿野郎なんていって、叱りましたが、立派な兵隊でしたよ。

このことは、是非、貴方にお伝えしたかったのです。

それで、このように、お訪ねしました。」

と、いうことであった。

私に水夫長に、云うべき言葉もなくて、只々、

「ありがとう御座いました。

私も、貴方のこのお話は、一生忘れないでせう。

確かに、私の機材、工具、部品と、多くの兵士を失いました。

しかし、私はまだ生きていますし、また、多くの部隊の者が生きています。

比島の決戦の勝敗は、これからと考えます。

生きているか、死ぬか判りませんが、しかし、そのようなことより、軍人として、日本

を護る任務をもっているものとし糸て、何処まで戦えるか?

男子として、悔いのない戦いをしたいと思っています。

器材、工具、部品は、これから工夫して、何とか、出来るでせう。

いや、そのようにしなければならぬと、覚悟しています。

どうか?この点は、ご心配ならないように、願います。」

と、いうより外はなかつた。

水夫長は、

「いや、杉山さん、

あんたは、私の子供よりも、孫のような、年齢だが、私は、貴方に会えて嬉しい。

私も一生忘れないでせう。お元気で!」

と、いうので、

「扶桑丸の船長、機関長、一等航海士、その他には、大変お世話になリました。

どうか、お元気で!よろしくお伝え下さい。」

と、云った。南国マニラの兵站宿舎のバナナの葉蔭での話であった。

私達は、正確に云って、昭和十九年七月三十日の午前四時三十分から、午後五時三十分

くらいまで、漂流したことになるので、約十四時間という事になる。

私の部隊の整備兵で、この掃海艇や機帆船、駆逐艦の救助に漏れて、漂流して行って、

約五日間かかって、パリタン海峡にある、カラヤン島まで漂流し、カラヤン警備の海軍に

救助された兵があつた。

船舶の魚雷攻撃を受けての遭難は、意外の事態が起るものである。

扶桑丸が米潜水艦の攻撃を受けて、魚雷が左舷の鉄板を突き抜けて、空の倉庫に当り、右

舷の鉄板に当たって、爆発したことで、扶桑丸は、右側に傾いたまま沈没して行った。

この状態で、助かった、飛行第三十一戦隊の第三小隊の兵士達が、マニラの兵站宿舎に

着いて後に話して呉れたのであったが、中甲板の兵員宿舎から上甲板に登る階段には、

右側に手摺りがあったのであるが、飛行第三十一戦隊は、この階段に待機していたので、

直ぐ上甲板に出たけれども、後続の兵士達は、右側に傾いたため、この手摺りを頼りと

して、階段を登らねばならなかったので、この手摺が、兵士達の重さで、外れてしまった

ということである。

手摺の強度まで、私は気がつかなかったと、意外な気がしたのであるが、船の設計、乗

客の安全のためには、この意外性のための、強度は、考慮すべきであらう。

第三小隊長の岩橋少尉の遭難による戦死ば、岩橋少尉と同行していた、西山中尉や、経

理将校の松橋少尉が生存していた事で、聞いておくべきであったと思うが、遭難の後松橋少

尉は、漂流の中で、戦死していること、西山中尉も、ネグロス島で他部隊に転属して、戦

死していることで、今は明らかにする方法もない。

この遭難による戦死者は、約三分一の人々が、戦死している事で、飛行第三十一戦隊と

しては、優秀な整備兵を失ったことになった。

第一小隊の小林少尉が、

「隊長、お先にゆきます!」

と、云って、扶桑丸の左舷から飛び込んだが、扶桑丸が、右に傾いていたので、飛び込

んだつもりが、扶桑丸の船腹を走り下った状況になったと、戦存者から聞いたので、当然、

生存していなければならぬと思うのであるが、人間の運命が、何処で、どうなっているの

か、人間では、予測や、考えつかぬものがあることにおいて、戦後、御遺族の前で生き

ている事の苦しさを味はうことになるとは、考えもせぬ事であった。

最善を尽くしても、尚、人力の及ばぬものがある事を知らされた事件であった。

只々冥福を祈るより外なかった。

この遭難による戦死者名は次の通りである。

 

階級       氏名

1 陸軍中尉     岩橋謙吉

2 陸軍主計少尉  松橋将司

3 陸軍少尉     藤田大郎

4 陸軍少尉     小林昌利

5 陸軍准尉     石井淑

6 陸軍准尉     草野嘉一

7 陸軍曹長     増田享

8 陸軍曹長     松本勝仁

9 陸軍曹長     渡辺勉

10 陸軍主計軍曹 平野盛平

 

階級       氏名

11 陸軍伍長    稲川卓清

12 陸軍伍長    吉成義知

13 陸軍兵長    秋元喜四司

14 陸軍兵長    稲浪隆雄

15 陸軍兵長    北田文男

16 陸軍兵長    寺井芭三郎

17 陸軍兵長    刀川光雄

18 陸軍上等兵   一木茂夫

19 陸軍上等兵   伊藤喜八郎

20 陸軍上等兵   池角一一

21 陸軍上等兵   稲垣健市

22 陸軍上等兵   大藤實明

23 陸軍上等兵   大塚浩

24 陸軍上等兵   加藤春雄

25 陸軍上等兵   金子保彦

26 陸軍上等兵   木村正夫

27 陸軍上等兵   篠田章

28 陸軍上等兵   都丸正彦

29 陸軍上等兵   水野邦弘

30 陸軍上等兵   水野仁三郎

31 陸軍上等兵   宮下善男

32 陸軍上等兵   森国由

33 陸軍上等兵   山遺次郎

34 陸軍一等兵   鮎沢賢治

35 陸軍一等兵   赤松房雄

36 陸軍一等兵   足高重一

37 陸軍一等兵   伊藤英五郎

38 陸軍一等兵   井上益次郎

39 陸軍衛生一等兵 瓜生恵造

40 陸軍一等兵   上岡保

41 陸軍一等兵   江草陽

42 陸軍一等兵   大崎利蔵

43 陸軍一等兵   奥田義郎

44 陸軍一等兵   大倉満

45 陸軍一等兵   大城武雄       

46 陸軍一等兵   川上信一

47 陸軍一等兵   柏原三治

48 陸軍一等兵   熊谷勝男

49 陸軍一等兵   後藤敏郎

50 陸軍一等兵   佐々木源蔵

51 陸軍一等兵   佐藤賢三

52 陸軍一等兵   佐藤富男

53 陸軍一等兵   島崎平三郎

54 陸軍一等兵   設楽富雄

55 陸軍一等兵   須崎章

56 陸軍一等兵   杉田松吉

57 陸軍一等兵   田畑一男

58 陸軍一等兵   谷本三郎

59 陸軍一等兵   田村長寿

60 陸軍一等兵   中村実

61 陸軍一等兵   榛葉伍作        

62 陸軍一等兵   西沢幸雄

63 陸軍一等兵   野上一男

64 陸軍一等兵   畑中大作

65 陸軍一等兵   村山定男

66 陸軍一等兵   山添行男

67 陸軍一等兵   吉川喜一

68 陸軍一等兵   渡辺玄二

69 陸軍二等兵   伊藤豊吉

70 陸軍二等兵   石山清蔵

71 陸軍二等兵   岩城義雄

72 陸軍二等兵   植村広一

73 陸軍二等兵   大槻義雄

74 陸軍二等兵   河田正平

75 陸軍二等兵   川本清

76 陸軍二等兵   加古一

77 陸軍二等兵   木村三郎

78 陸軍二等兵   木村信夫

79 陸軍二等兵   北井由三

80 陸軍二等兵   郡司和男

81 陸軍二等兵   小泉保太郎

82 陸軍二等兵   近藤貞一

83 陸軍二等兵   小林一雄

84 陸軍二等兵   酒谷忠

85 陸軍二等兵   貞森倉治

86 陸軍二等兵   坂本真三

87 陸軍二等兵   坂西政一

88 陸軍二等兵   沙魚川三郎

89 陸軍二等兵   嵯峨野利夫

90 陸軍二等兵   佐藤勇

91 陸軍二等兵   下村清一

92 陸軍二等兵   芝好明

93 陸軍二等兵   塩治二郎

94 陸軍二等兵   高橋仁平

95 陸軍二等兵   高田清一

96 陸軍二等兵   柘植忠夫

97 陸軍二等兵   椿博晴

98 陸軍二等兵   角谷弘三

99 陸軍二等兵   出口政雄

100陸軍二等兵   中井久一

101陸軍二等兵   中原芳夫

102陸軍二等兵   中野陽一

103陸軍二等兵   新鎧敏太郎

104陸軍二等兵   布谷晃

105陸軍二等兵   野川守

106陸軍二等兵   藤原徳次郎

107陸軍二等兵   福田正雄

108陸軍二等兵   見尾田芳治

109陸軍二等兵   村田一郎

110陸軍二等兵   門間一男

111陸軍二等兵   山口大次郎

112陸軍二等兵   山元四造

113陸軍二等兵   山口嘉男

114陸軍二等兵   吉田保

115陸軍二等兵   渡辺貢

以上

 

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